

合氣道開祖植芝盛平翁の説かれるお話は、私のような凡夫には、全く理解出来にくいものであった。
自分が合氣道の技に行き詰まり、己の非力であることを痛感し悟らされた時、この武道を離れるか、
ただ単なる趣味として続けるか、その瀬戸際に立たされたのである。
その状態の中で、何か、この窮地から抜け出す方法はないものかとか、真剣に考えたのである。
従来の、体的な稽古だけでは駄目だと、悟らされたのであるから、方向を変えて、心の世界に目を向けることにしたのである。
その時、まず最初に目に触れた開祖のお言葉は"合氣とは愛なり"の一言であった。
このお言葉は、無限に拡がってゆく大きさと、深さを持っているように思うのである。
これが解決できれば、合氣道の技も、極意に達することが出来るのではないかと考えたのである。
毎日の技の稽古の中で、愛の技の体現とはどのようなことであるのか、そのことのみを考える稽古が続いた。
開祖の数多くのお言葉を、訳も分からずに、心で理解するつもりで読み続けたのであるが、そこで感じたことは、
開祖のお言葉は、表現は違っていても、その言葉の意味するものは、総て、万有愛護の精神であるということであった。
愛とは武道に於いては、敵そのものを無くすることである。無くするための技は、相手と一体になることである。
一体になるためには体力的な技を出して、相手を倒そうとする気持ちを捨てなければならない。
相手と結ぶことである。結ぶためには体力的な馬鹿力を抜かなければならない。
この結論が出たとき、稽古はその一点に集中して行ったのである。
それから幾年か経った時、そこには従来の稽古では全く考えられなかった、愛の技が生まれていたのである。
万生館合氣道の呼吸力の技がそれである。開祖の説かれる心の世界を求めずして、真の合氣道に達する
ことは不可能である。 開祖の精神を受ける心が誤った方向に進むとき、自らの人生も、また狂うことであろう。
この霊肉一体の心技こそ、行き詰れる人間の、指標と言えるのではなかろうか。