
合氣道開祖植芝盛平翁のお言葉

「合氣は和合の道、全人類、全宇宙が大きく和して一体となすべき万物本来の姿の現れである。
すなわち宇宙の中心は一つであり、その動きが宇宙建國の営みとなってこの世に経綸を行う。
全大宇宙は皆同じ家族であり、世界から喧嘩、争い、戦争をなくす、この世界は美しき愛の世界、
一つの造り主の愛の情動の世界である。愛がなければ國が世界が宇宙が亡びる。
愛より熱も光も生じ、それを実在の精神において行うのが合氣道である」
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修行とは |
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先日、NHKラジオで子供の詩の朗読があり、その中で一つだけ、強い印象を受けたものがあった。それは五歳の女児のもので、大体の内容は次のようなものである。 「私の中には良い心と、悪い心が、二百ほどある。そして、いつも戦っている。悪い心が勝ったときはお母さんにおこられる。けれども、下の方で良い心が、ごめんなさいと言っているのに、お母さんには分からない」 短いものであるが、人の心の状態を、端的に表現したもので、素晴らしいと思ったのである。 五歳の幼児にして、すでに、善心と悪心の心の戦いを感じていると同時に、それを反省する心の動きを述べているのである。 幼児のいたずらは、その能力を伸ばすための、過程である場合も多いのであるから、一概に怒ることもないと思うのであるが。 それでは、子供を叱る母親や大人はどうであろうか。ごみ、空缶、タバコの吸い殻などのポイ捨ては、日常茶飯事のように行われていることを見るとき、悪の心に負けて、反省もないことは、幼児の心にも劣る現状と言えるのではなかろうか。 最近、修行について考えさせられる問題が、世間の耳目を引いている。 修行とは、もともと仏教語で、仏門の法を修め行う、教法を守り善行を修めること、などと説かれているが、それが一般的に鍛錬、武芸の修業などと言うようになったのであろう。 今、一般に使用されているいろいろな言葉も、元は、それぞれの意義を持っていると思うのであるが、それを現代的に考えてみると、そう難しいことではないように思うのである。
修行、を取り上げてみると、それはこの世に生きていく上において、人として大事なことはなんであるかを、考え行うことであると言えるのではなかろうか。
人がこの世に生を受けた使命は、なんであるかを考えたとき、その使命がはっきりしないと、それぞれが勝手気儘な生き方をして、世界は乱れてしまうのであろう。
今の世界は、法律や、規約、条約などで、やっと安定が保たれている状態である。これは、永久的なものではなく、いつ破られるか分からないものである、世界のどこかで、絶えず抗争が起こっているのもその現れである。地球という一つの星の中に住んでいる人類として、その目的は一つでなければならない。それはなんであるか。 この地球に永遠の楽園を造ることである。 すべてのものが、その目標に向かって、それぞれの能力を発揮させる教育をすべきである。
己の中にある善の心を強くするように、自らの心を瞬間に省み、善心が悪心を押さえて、善行が日常茶飯事になるように習慣付けること、これが修行の目的であると思うのである。 |
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ふりみる
今日食べられることは
今日生かされている
ということである。 |
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